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2020.06.12

エピローグ

それは肌寒い日だったのを覚えています。

2011年5月17日。場所は大通公園6丁目広場のベンチ。私は、どん底にいました。やっちまった!どうしよう・・・という状態です。
私は東京の大手と呼ばれる上場企業で働き、誰よりも働いてきました。出世欲の塊でした。おかげさまで、新卒2年目になる前に、仙台のとある部署のエリア責任者の肩書をいただき、それからは、24歳で東北ブロックの責任者、25歳で人事部門の部門長、グループ会社の事業部長などの仕事をしてきました。

そんな良い調子の中、家族に不幸があり、一人っ子の長男ということもあり、29歳で札幌に戻った上に無職になりました。リーマンショックや半導体不況なども相まって、「余命幾ばくもない家族との時間」と「出世争い」の両立は非常に困難であり、30歳も目前で、人生を見つめ直してみたい・・・というのが正直な気持ちでした。

その後、地場の広告制作業の小さな会社の新事業のディレクターとしてお声がけ頂き働くことに、なるのですが、新規事業の拡張はうまくいき、入社時にアルバイト含み7名の会社が、気づけば、1年経過したくらいで従業員40名近くなっていたので、今、その時の環境を振り返ると、そこそこには自分には商売の才能はあったんだなあと思います。
余談にはなりますが、当時、その新事業を一緒に進めていたパートナー企業の役員が現ワンダーストレージHDの室田副社長だったのは、不思議なご縁です(笑)
そのお世話になった事業主と経営のことで大喧嘩になり、「会社を出ていけ」と言われ勢いで出て行ってしまい、その会社の取引先からすぐにお誘いを頂いたので、次の日からお世話になりました・・・が、その会社も3ヶ月で大喧嘩・・・
飛び出してしまったのが、上述の5月17日です。

ここだけ見ますと、社会不適合者にしか見えません。
どうしてこういう事が起きたのかは、本当にわかりませんでした。
一時間くらい悩んだ後でしょうか、お昼になる少し前、思いついたようにノートパソコンに打ち込みます。
この時の所持金は1万円もありませんでした。何を打ち込んでいたかというと「合同会社セブンブレンチ」の定款と登記申請にかかる書類を一時間でつくりあげ、知り合いのハンコ屋さんに会社印を一時間で作っていただき、そのまま法務局へ行き、届け出をすましてしまいました。これを見ている皆様(従業員もそのご家族の方も)には申し訳ありませんが、最初は本当にそのような会社でした。
机も知り合いの会社の一角を間借り、電話回線も間借り、
会社の資産は通帳に印字された2万8千円だけでした。

佐藤 肇祐

佐藤 肇祐Sato Keisuk

ワンダーストレージホールディングス株式会社
代表取締役 兼 CEO

株式会社セブンブレンチ 代表取締役